聖の親様と共に 初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

多信仰の弊害

隈本確先生著書「大霊界」P150~P154
よそ神に心をひかれると、守護神も手をひく


多信仰の弊害の実例です。
せっかく守護神に助けられて病気が治っていたのに、一瞬にしろ、よその神に心をうつしたばかりに、再び体が痛み出したという女性の話です。

まだ、日本神霊学研究会が発足する前のことでした。
ある女性が、隈本先生の事業所に飛び込んできました。
その日の朝、偶然週刊誌の記事で隈本先生の神霊治療のことを知り、広島から長崎までとんできたというのです。

女性「助けてください、先生、お願いします。」
その女性の話では、もう四十年近くも腸の病気で苦しめられており、その間に七回も腸をきっているというのです。
そして、胸、腹部、婦人科のあたりにかけていつでもぱんぱんに腫れ上がり、圧迫感があり、特に腸には一定の痛みが続いているというのです。
しかも、その一定の痛み以上の痛みが二時間以上続いた場合には、即座に腸を切らなければ命が危ないというやっかいな病気なのです。
この腸の痛みの病気を治す薬は、世界中どこにもないそうですもないそうで、、切っても、切ってもうずく腸について、本人はもう半ばあきらめているのでした。

その日は、朝から、腸の痛みがいつもよりちょっと酷かったので病院に行ったところ、たまたま、待合室で隈本先生の神霊治療について書かれた記事を見つけて、そのまま病院を飛び出すと、すぐに汽車に乗って、広島から長崎までやってきたというわけなのでした。

よく話を聞くと、この女性は七回も腸をきっているので、ほとんど腸がなく、そのため前向きにかがむと口から大便が出てしまうという事で、うつぶせになることや、下を向いての仕事が全くできないのだといいます。

そこで、隈本先生は、除霊と浄霊をし、女性の守護神として権現大神を出しました。
すると、ものの十分もしないうちに、それまで大きく張っていた腹部の腫れがひいて、すっかり小さくなりました。

女性「何だか腸のあたりがフワーっとなって、きもちが良くなりました。ありがとうございます……」
そういうと、泣き始め、それが十分も二十分も泣き止まないのです。
隈本先生「さあ、いつまでも泣いていないで、ちょっとここでうつぶせになってごらん。さっき、うつぶせになると大便が口から出てくるといっていたけれど」
女性「はあ……それはちょっと無理です。この事務所を汚してしまっては……」
隈本先生「かまわないから、早く!」
隈本先生がちょっと強く言うと、女性は、その場でおそるおそるうつぶせになったのですが、五分、十分……、女性の様子は全く変わらないのです。
帰りの汽車の時間を聞くと、あと三十分ありました。
隈本先生「じゃあ、そんな恰好で苦しいかもしれないけれど、と三十分そのままでいなさい。そのままで、私と話しましょう」
そして、三十分、女性は、ついに最後まで汚物で床を汚すことなく、びっくりして帰っていきました。

ところが、その一カ月ほどたった頃に、女性から電話がきて、今にも泣き出しそうなか細い声で「先生、また痛みが出ました……」
そこで、隈本先生は受話器を持ったまま女性に除霊をしたら、三分ほどして、良くなったという嬉しそうな声が聞こえました。

それから一カ月ほどたった暮れに、女性から電話があり、今度は、正月にぜひお参りをさせて欲しいというのでした。
隈本先生はお気持ちだけで結構ですよと言ったのですが、女性はどうしてもといって後に引きませんでした。

正月に隈本先生の前で正座をした女性は、深く頭を下げて言いました。
女性は、隈本先生のところに来る前に、他の有名な神社に何年もの間、願掛けをしていたそうです。
ところが、隈本先生のところで、たったの一回で治ってしまったことが嬉しくてたまらず、以前願掛けをした神社にもお礼参りをしなければと思い、神社に行って来たら、その晩からお腹が痛み出したというのです。

女性「……で、先生に対して、お詫びに来たわけなのです。せっかく、ご守護神に権現大神を出していただいたのに、他の神様にお礼参りに行ったりしたので、あんなことになってしまったんですね……」
隈本先生「どうしてあなたは、そんないたらんことをしたのですか、ちゃんと守護神に権現大神を出したのに、よその神にあなたが心をひかれると、守護神も手をひかれるんですよ。それに神社とかお寺には、善霊も悪霊も低級霊もうようよいるんですからね。もう、前にどこに行っていたとか、何があったにしても、今後は権現大神一本やりで行ってください」
女性は、隈本先生に言われるまでもなく、身に染みていたようです。

その女性は、その後も毎月一回から二回、元気にしているという便りを送ってくれたそうです。


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私がこの女性の立場だと、同じことをしてしまいそうです。
長年願掛けをして、今はよくなったから、お礼というか報告に行きそうです。
それもいけないのですね。
人間世界と神の世界の違いなのでしょうか。

もしかしたら、良かれと思ってやっていたことが、神様を怒らせたりすること、ってあるのかもしれませんね。
聖の親様や、魂親様に話をしていた方が良いかもしれませんね。
その中で、お答えがあったりするかもしれません。

今日は、お彼岸です。
日神会には、関係ありませんが、俗世間には大きなイベントになります。
私も俗世間の一員ですので、夫と墓参りに行ってきました。

我が家の墓は、昔からの土地の人達と一緒の墓があります。
そのほかに、菩提寺には、戦争で亡くなった人たちのお墓もあります。
我が家には、三人の方が戦死をしています。
男の兄弟三人いましたが、その三人とも全員亡くなってしまったのです。
享年を見ると、23歳と24歳でしたが、もう一人の年齢はわかりませんでしたが、たぶん同じような年齢だと思います。
その年齢を見ると、やりきれない思いになりました。

私は、会ったこともない人だけれど、自分が人の親になっている今、息子が三人もいて、全員戦死なんて……・
親の立場からすると、どれほど辛かっただろうと思います。

それを思ってから、私は戦死をした方々三人と、その親御さん二人に霊流を流しました。
毎日、仏壇にお参りするときに、少しづつですが、流しました。
最初は、五人全員が暗い感じでしたが、霊流を流しているうちに、だんだん明るくなり、今は光り輝いています。

親御さんは、初めの頃は泣いて泣いて……連日泣いていました。
そうだよなぁ・・・・・・と思うけれど、私ができるのは霊流を流すことだけです。
流しているうちに、親御さんは泣き止み、少しづつですが、前向きなってくるのがわかりました。

今は、五人とも光り輝いて、良かったです。







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多信仰を祀ると弊害がでる

隈本確先生著書「大霊界」P148~P149
信仰の弊害―多くの神々を祀ると精神の混乱状態をひきおこす

世間には、神棚に何体もの神を祀っている人がいます。
実際には、それらの神々に魂が鎮まっていないことがほとんどなので、弊害も少ないのですが、それらの神々に魂が鎮まっていたとしたら、大変なことになります。

おそらく、精神分裂症になってしまうと思います。
とくに、守護神を持ちながら他の神々に心をうつすと、守護神もそれを非常に嫌われるのです。

隈本先生のところにこれに関して、質問がありました。
……どうしても義理で行かなければならない旅行があるのですが、そのコースに神社参拝が含まれています。
一体どうしたらいいでしょうか?
このような場合は、あらかじめ守護神に報告しておくことです。
このような場合は、自己の胸中に内在させた守護神に対して、次のようにしっかりと念じるのです。

「ご守護神様、この度私は町内の付き合いで〇〇に旅行に行くことになりました。ところが、その折の〇〇神社という所へ参拝しなければなりませんので、どうかよろしくお願いします。
このように言っておけばいいのです。

そして、現地の○○神社なるところへ行ったときには、心になにも思わず、祈願など決してしない事です。
ただ、みんながしているように手を合わせて、頭を下げていればよいのです。
どうしても何か言わなければならないときは“お邪魔します”というくらいの気持ちで頭を下げればいいのです。
要するに神霊と通ずるのは、その人の心、想いという所にしかないのだから、心を空にしてなんかい頭を下げようとも、いっこうに問題はないのです。


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今回の場合も、守護神とあるところは、聖の親様と変えて読んでいただくといいと思います。
私もご本を読んでいたのですから、この部分も読んでいたはずなのに、全く記憶がなく、今まで神社、仏閣に行くときには、聖の親様に何も言わずに行っていました。
チョッと冷や汗ものです。
今回でしっかり覚えましたので、これからはきちんと聖の親様に報告をして行きたいと思います。

これに当てはまるかどうかは、はっきりわかりませんが、母の長兄である伯父が、色んな所に行ってはお願いをしていたようです。
母から断片的に聞いただけでしたので、違うかもしれませんが……

伯父はとてもいい人でした。
いつも穏やかで、声を荒げることもなく、いつも優しい目をしていました。
でも、母から聞いた伯父は大変な苦労人でした。

以前にも書いたことがあるかもしれませんが、母の実家は昔は結構裕福にだったそうです。
母の父は、お坊ちゃまで育ち、お金の苦労はまったくといっていいほどしたこともなく、母の父の親からもお金のしつけというものはされたことがなかったようです。
それが災いしたのでしょう、知り合いに誘れ、小豆相場に手を出したのだそうです。

もうおわりでしょう、どれくらいかわかりませんが、大損をして、それからは大変だったようです。
母も小学校を出てすぐに働きに出てお給料のほとんどを家に入れていたそうです。
本当は、上の学校に行きたかったけれど、親の役に立ちたかったからと、自分から進んで働きにいったそうです。
仕事もつらかったけれど、お給料のほとんどを持って行くと、母親が待ち構えていたそうです
でも、そうやって親の役に立てることがとっても嬉しかったといっていました。

母の父親は、大きな借金をつくって、そのうちに病気になって早くに亡くなってしまいました。
その後は、母の母親と長兄である伯父とが中心になって頑張っていたものの、赤紙が来て戦争にもいかねばならず、大変だったようです。
戦争が終わり、伯父も帰ってきて、母の実家は伯父が苦労をして立派に立て直しました。

話が長くなりましたが、その後、伯父の娘二人も成人をして、伯父夫婦も安心と思っていたのですが、その後も苦労の連続でした。
長女が後を継ぎ、婿を迎えたのですが、この婿がとんでもない大酒のみで、酒乱で、金遣いが荒く、伯父の家の疫病神になってしまいました。
伯父の長女である従弟自身も少し変わってはいましたが、いとこには、娘が二人生まれましたが、例の婿が酒を飲んでは暴れ、子どもにも暴力をふるい、大変だったようです。

あまりにひどいので、婿に家を出るように言ったのですが、出ていかず居座ってしまいました。
婿の実家にも引き取ってほしいといったら、実家でもその婿にはてこずっていたらしく、断られたそうです。

いとこの娘の長女は、父親からの暴力に備えて、自力で早くから体を鍛え、柔道か何かをこっそり習っていたそうです。
そんな中で、後で従弟の娘から聞いたのは、あの大変な時に自分たち姉妹の味方や盾にになってくれたのはおじいちゃんだけだったといっていました。
あの時、おじいちゃんがいなかったら、自分達はどうなっていたかわからなかったといっていました。

伯父は、自分の人生があまりに大変だったからでしょう、色んな所に行っては祈願をして、お守りをもらってきていたようでした。
伯父のことだから、どれにも真剣にお祈りをしていたのでしょう。
今思えば、それがよけいに災いをしたのかもしれません。

亡くなった時は、自転車に乗っていて、道端で転倒して、その時に頭を打ってそのまま意識が戻らないまま亡くなってしまいました。
どう見ても、その程度で脳挫傷になるのはおかしいから、ひき逃げではないかと、警察もそういうことを疑って調べたけれど、わからないままに亡くなってしまいました。

伯父は、母の長兄でもあり、父の仲の良い友人でもありました。
毎日必ず、実家に来ていました。
長居をするわけだはないけれど、少し話をして出かけていきました。

私たち姉妹が就職をして家を出ると、私たちにまで、自宅で採れた野菜などを送ってくれました。
あんなにやさしくて、良い人が苦労の連続で、最後もあまり納得のいく亡くなり方ではなかったので、もしかしたら、沢山の神様にお祈りをし過ぎたのかな……と、私は一人勝手に思っています。

私は、伯父に霊流を流して、高い所に行ってもらいました。
そうでなければ、伯父の人生があまりに理不尽です。

守護神の名称

隈本確先生著書「大霊界」P147~P148
雑多な神々への信仰は守護神を遠ざける
守護神の名称―人間が霊界人と交信を持
つための符丁

守護神をも含めて、霊界の住人達(神霊)には、霊界人同士にしか通じない想念の世界というものがあります。
それは、人間界の住人には、普通には感知できない感覚世界であるといってもいいものです。

隈本先生が守護神を語るときは、たとえば、“天照皇大神”とか“不動尊”とか言っていますが、本来、このような名称も霊界では必要とはしないのです。
しかし、守護神の名称というものは、生活環境も波長も全く違う霊界と現界とを結び、人間が霊界人と交信し、連帯を持つためには便宜上必要なものなのです。
そこで、隈本先生は、守護神を大きく五つに分類し、不動尊、観世音菩薩、権現大神、毘沙門天大神、天照皇大神としているのです。

隈本先生の言う不動尊とか観世音、その他の守護神の名称は、現在一般的に行われている仏教などで言われているものとは全く異質のものであるということを、特に注意して心にとめておいていただきたいのです。

古来、神道にも仏道にもたくさんの神々の名称があるわけですが、そのすべては実際には霊界に存在しない観念の神々の名前であるといえます。
それらは、人間の一方的な知恵や想念から生み出された人間界創造物の名称です。

便宜上いかなる名称を付けようとも、真実の神というのは、実際に霊界に存在する霊界人でなければならないのです。
空想上の神々の名をいくら一心にとなえ、すがった所で、ご加護が頂けないのは当然です。
絵に描いた餅では、それがどんなにうまく描かれていたとしても、食べることが出来なのと同じ理屈です。
逆に言えば、霊界にはっきりと存在し、生命と意志とも持った霊界人と私たちつながってこそ、加護も、幸せももたらされるということです。


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私が子どもの頃から聞いていた仏様の名前は、創造の方だったのでしょうか。
ちょっとがっかりです。
霊界では、名前も必要ないのですか……

以前から気になっていたのですが、神様の名前も必要ないなら、一般の霊魂にも必要がないのでしょうね。
戒名というものがありますよね。
あれもあの世に行ってからのための名前ですよね。
神様すら名前を必要としないなら、普通の霊には必要ないのではないかと思うのですが……

神様の名前は、生きている人間の都合で必要だとしても、一般人が亡くなって霊魂になって、あの世では名前が必要がないとしたら、現世でも亡くなった人の名前は生前の名前で言いますし、せっかく付けた戒名はいつ使うのでしょう。

しかも、戒名って結構のお値段がしますよね。
百万円とか……私が聞いた中で最高額は、五百万円というのを聞きましたが、その上もあるそうで……
その上に、戒名ではなく、生前に付ける法名というのもあるそうです。
それも戒名と同じ位の金額がかかるそうです。

私の弟が、新興宗教にはまっていることを、以前書きました。
実家の母のお葬式を密かに自分の信じている宗教で行おうとして、義妹や私達姉妹に反対され、あきらめたことも書いたことがあったと思ういますが、そこで、義妹は弟に母の戒名だけは、弟の信じている宗教のものでも良いといったようです。

それを弟が披露してくれたのですが、何とも言えませんでした。
せっかく弟が自分のお金でお願いした名前です。
内心「これなら素人の私でも付けられそう」という程度のものでした。

母の名前の中から一文字と、弟が信じている宗教の教えの中からの一文字をとって、二文字だけの名前でした。
その戒名の金額が、百万円だそうで、下世話な私は、つい一文字五十万円……ぼろ儲け……と、姉と話してしまいました。
まあ、そりゃぁ、文字が多ければいいという話でもありませんが……

日神会の以前の守護神の出現のさせ方

隈本確先生著書「大霊界」第一巻P143~P146
守護神と人間の結びつき―守護神ともつと運勢、性格まで好転する


真実の守護神が、私達の全先祖集団中、最高の格と力をもつ神霊であることは、、わかっていただけたと思います。
そうなると次のような疑問が、当然生じてくると思います。

……いったい、自分の真実の守護神とはどんな方なのか、そして、そのようにしたらその守護神と密接なかかわりをもち、、ご守護が頂けるだろうか?

……こ守護神の出現ということについては、高級霊能力者の霊視、または霊界通信によらなければ確認されないのです。
隈本先生は、神霊治療の依頼人に対して、当人の無数にいる背後霊の中から最も霊格の高い神霊を守護神として出現させ依頼人当人にその名を告げ、さらにその守護神に、隈本先生の守護神の光と力とをわける事にしていました。

隈本先生が依頼人の守護神を出す場合は、まだ人間界の想念を完全に断ち切っていない幽界や霊界の段階にいる霊は、絶対に出現させないことにしていました。
この段階の霊では、守護霊になれても、守護神にはなれないからです。

誰に対しても、隈本先生が守護神としてだす神霊は、仏の世界の修行(霊界の中の仏界)をほとんど終えつつあるか、すでに神の世界の段階(霊界の中の神界)にある方です。
厳密に言えば仏の世界の修行をすべて終えて、はじめてその神霊は、神としての働きや守りの力をもつようになるのです。

そんなわけで、隈本先生の神霊治療はたんに悪霊を祓い、浄化することばかりでなく、当人の守護神を出現させ、その守護神に力を与えるという作業をも含まれています。
したがって、神霊治療を受けた依頼人は病気が治ると同時に、以降の人生が全面的に好転し、仕事や全ての人間関係などがスムーズに展開され始めるのです。
実際に、守護神を出してからイライラや不安感が全くなくなったという報告も多数寄せられています

生まれつき運のいい人というのは、知らず知らずのうちに、高い神霊の守護を受けているといえます。

ところで、守護神の存在が確認されたら、その守護神といかにして深く結びつくか、ということが問題のなってきます。
神霊との交流は、心、想いの世界でしかなされないという事は、これまでも度々言ってきたことですが、守護神に関しても、例外ではありません。
だから、守護神と深く結びつき、大きなご加護をいただこうと思うのだったら、片時も自己の守護神の存在を忘れることなく、深く、強く、守護神を思い続けなければならないのです。
守護神と人間とは、やはり、心、魂で結ばれていなければならないのです。

先祖諸霊のうちでもっとも格の高い守護神と魂の中心でしっかりと結ばれることによって、さまざまの悪霊及び低級霊からも守られることになるのです。
守護神と魂の中心でしっかりと結ばれるという事は、つまり、守護神が自己の胸中に内在するという確信をもって、自己の内なる守護神を強く思いつづけるという事に他ならないのです。
神といえども、自己の胸のうちに内在させることが出来るのです。

ここで、神と人間とが一体となって、まさに奇跡ともいえるような力が発揮されるのです。
だから、守護神を出し、これを奉仕するものはめったなことではに病気なったり事故にあうこともないし、たとえそのようなことになったとしても、即座に快癒、逃れうことが出来るのです。
そして、さらに守護神との一体感を深め、より大きなご加護をいただくようになると、自分の病気ばかりでなく、他人の病気までも治せるようになってくるのです。
すなわち、 神霊治療能力が出てくるのです。



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今回の内容は、日神会の歴史の一つとして受け取られた方が良いかなと思います。
というのは、以前は、ここに書いてある通り、依頼人の先祖霊の中の一番格の高い神霊を出して、依頼人の守護神様にしていたそうです。
私が、まだ日神会を知らなかった頃の話です。

それぞれ依頼人の全先祖中の一番格の高い神霊を出していたのですが、それが依頼人の先祖によって差がありすぎるので、隈本先生がその差がなくならない方法がないかと、模索研究の結果、隈本先生の写真を胸に思い描いてという形だったと思います
それが今は、聖という文字を胸に描くという方法に変わりました。
全てが、隈本確先生の努力の結果です。
私が、日神会に出会った時は、隈本先生の写真を胸に描くという形でした。


ここに書いてある先祖霊の守護神のところを、聖の親様に置き換えれば全て当てはまると思います。

聖の親様と深く結びつき、大きなご加護をいただこうと思うのだったら、片時も聖の親様の存在を忘れることなく、深く、強く、思い続けなければいけない。
聖の親様と人間とは、心、魂で結ばれていなければならない。
聖の親様と魂の中心でしっかり結ばれることによって、さまざまな悪霊、低級霊から守られることになるのである。
聖の親様と魂の中心でしっかりと結ばれるという事は、つまり、聖の親様が自己の胸中に内在するという確信をもって、聖の親様を強く思い続けるということに他ならない。
ここで、聖の親様と人間が一体となって、まさに奇跡ともいえるような力が発揮されるのである。

守護神とは

隈本確先生著書「大霊界」第一巻P142~P143
守護霊と真実の守護神―真実の守護神とは全先祖中、最上級のの核を持つ神霊である

〇 心霊学的での一般的な守護神
私たち人間を守ってくれる善霊。
個人の背後霊の中心的存在である霊魂である。
その人に大きな影響を及ぼす霊魂である。
本人が気づいていても、気づかなくても、守護霊はその人間を守護しているということになる。
守護霊には、その守護霊自体の働きを守護し援助する存在があり、これを守護神と呼んでいる。

〇 隈本先生が言う真実の守護神
無数の先祖諸霊のうち、当人に善の意志を持つもっとも浄化された格の高い霊界人である。
守護神というのは、当人とのかかわりに深浅にポイントを置くのではなく、あくまでも霊界での格の高さ、能力の高さにポイントが置かれている。
つまり、いやしくも守護神とよべる存在は、当人に関わりをもつ全先祖霊中、最上級の格と力とをもつ存在でなければならない。

普通の状態では、人間と直接深いかかわりをもつ霊魂というのは、あまり霊格の高いものではないのです。
だから、そのような霊がいくら善の意志をもって私たちを守護していようと、病気を治すこともできなければ、運勢自体向上させるようなことも難しいということになるのです。
一般に言われている守護霊、守護神というものもは限界があり、守護神とは、その人に大きな影響を及ぼす善意の霊であるとはいえ、その霊自体の格が低く、力が弱かったのでは、やはり真実の守護神とは言い難いのではないでしょうか。



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一般に言われている守護霊、守護神というのと、日神会の言う守護神というのでは、ずいぶんと開きがあるのですね
今までの私は、そういう所はほとんど区別がついていませんでした。
こうやって「大霊界」のご本を読んでいると、違いがよくわかりますね。
そりゃ、格の高い守護神の方が良いですよね。

今回は、ご本の内容とは違う話をしたいと思います。

日神会の会費と、儀式の金額の話をしたいと思います。
よくネットでは、日神会にはお金がかかりすぎるという意見を見かけます。
儀式のお金は、一度に払う金額を考えると、高く感じる方もいらっしゃると思います。

私は、日神会のお金が高いと感じるか、感じないかはその人次第だと思っています。
私は、ものすごく助けていただいていますので、一年であの金額では、十分元を取っていると思っています。

例えばで言いますと、二年前の二月に夫が木を切っている最中に脚立から落ちて、右腕を骨折しました。
ところが、二度の誤診で骨折とわかるまでに一カ月余かかってしまい、骨折と分かった時は、折れたところがかろうじて、やっとくっついている状態で、うまくくっつくかどうかわからないと言われました。

それからは、必死で霊流をひきました。
年齢もあるせいか、骨折がくっつくまで約一年かかりましたが、手術をすることもなく、くっつきました。
でも、仕事は力仕事です。
その年は、百万以上の減収でした。

やっとよくなったと思ったら、夫は、骨折したところの右腕がだるくてはしも持てないというのです。
夕飯の頃は、一日の疲れがたまっているので、お腹がすいているけれど、はしを持つのもつらいから、夕飯はいらないとに言い出すようになりました。
そのうえ、だるくて夜も眠れないと言い出しました。
仕方がないので、おにぎりを握ったり、食べやすいように工夫をしたりしましたが、ある時、ふと気がついたのです。

そうだ!霊流を流してみよう!!と思い、夫に浄霊をしました。
夫は、そういうことを好まないので、遠隔治療です。
どれくらいたったかは、はっきりは覚えていないのですが、箸をもって食べるようになりました

でも、まだ重いものを持つのはつらかったようです。
我が家は、鉢物、花壇苗を扱っていますが、もう五年ほど前から、鉢物は土があるから重いのがつらいからと、年数をかけて徐々に切花に切り替えていたので、何とか減収は最低減に抑えられたと思います。

私は、主に鉢物の方を扱っていたのですが、直売所まで花を運ぶのは、夫です。
夫は、鉢花は重いので持って行かないので、やっぱり減収でしたl
だから、次の年の去年も百万円くらいの減収でした。

今年は、もうほぼ三年前の状態に戻っていますので、ホッとしています。l
こういうことがあると、あの時に霊流を流していなければ、夫の症状はもっと悪化していたら、家はどうなっていたかわかりません。
そうやって考えると、一年の十六万円くらいの金額は、安いのではないかと思います。

今回は、わかり易い例をと思い、夫の骨折のことを書きましたが、他にもここには書ききれないほどの事で助けていただいています。
私の場合は、道場への交通費数千円ですんでいますので,日神会の費用は十六万円くらいですんでいました。
もっと遠くの方は、一年に会費、儀式費用、宿泊費、交通費にその他もろもろを入れると、かなりの金額になるので、大変ですよね。

もし、私が日神会から離れていたら、聖の親様に「日神会へ行く費用を用意をできる力をください」とお願いするんじゃないかと思います。
これは決して、強制をしているわけではありません、あくまで、私だったらということです。
気を悪くされた方がいたら、すみません。